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ヴァガバットギータ

2017年7月12日 18時02分31秒 (Wed)

「求める」ことをやめた時に「気づく」こと

インド独立の父である
ガンジーも、常に持ち歩いて、
生きる指針にしていたインドの聖典
「バガヴァット・ギータ」。

私もバガヴァット・ギーターを読み始めて
10年以上、経ちますが、
読むたびに、違うものを受け取ります。


バガヴァット・ギータは、
主人公アルジュナと導き手である神クリシュナとの
対話形式で構成されていますが、

本の表紙には、

「ひとは社会人たることを放棄することなく
現世の義務を果たしつつも
窮極の境地に達することが可能である」
(上村勝彦訳:岩波文庫)
とあります。


img_20170712-180453.jpg

「今の社会で生きながら窮極の境地」。

山や寺に籠ることなく、

今のこの生活をしながらも、

苦悩から解放され、
自由になることができる、
ということ、ですね。


私たちはたぶん、
苦悩からの解放も、自由になることも、
「なろう」と求めて
なれるものではないのだと思います。

逆に
苦悩から解放されたい、
自由になりたい、
という求める「自分」が消えた時に、

はじめて、
苦悩から解放されて、
本当に自由になるのだと思います。

なんだか、
トンチのようですが(笑)


苦悩からの解放や
自由や幸せになることを目指すのをやめて、

今、ここに、
ゆったりと
身体も心も「くつろぐ」ことができた時、

そこは
苦悩がないことや
自由があることに
私たちは「気づく」のだと思います。


そして
今、ここにある安らぎや静かさに
気づくために、

ヨガや瞑想の時間、
アーユルヴェーダの智恵を生かした生活が
大切になるのだと思います。

 

2017年7月9日 17時50分02秒 (Sun)

膨大な知恵「ヴェーダ」の最終的なひとつの教え

アーユルヴェーダもヨガも
世界最古の聖典「ヴェーダ」にルーツがあります。

哲学や生き方、
儀式、マントラ、祈り、
アーユルヴェーダ、瞑想、ヨガについては
すべてはこの「ヴェーダ」がベースになっています。

ヴェーダの語源は
知る=「ヴィド」。

人が知るべき知恵のすべてが
記されていると言われています。


ヴェーダはもともとはひとつの知識体ですが、
「ヴァガバットギータ」の作者ヴャーサによって、

「リグ・ヴェーダ」、
「サーマ・ヴェーダ」、
「ヤジュル・ヴェーダ」、
「アタルヴァ・ヴェーダ」の

4つの文献に分けられました。

いずれの文献も、
それぞれに教えや膨大が知恵が詰まっていますが、
最終的な教えはひとつ。

「人間を苦悩から解放すること」。

そのために、
膨大な知恵が、
何千年もの間、脈々と受け継がれてきたと思うと
昔も今も、
人々の望みは
「苦悩からの解放」、

人々を
「苦悩から解放して自由にするための」
たったひとつの教えです。


そしてそのためには、
調和のとれた身体と心、
正しい知性の使い方が大切で、

そのための方法のひとつとして、
アーユルヴェーダやヨガ、瞑想の教えが記されています。

今は、
どんな雑誌にも本にも
「調和のとれた身体と心」の
重要性が書かれていますが、

なぜ調和のとれた身体と心が必要なのか。

それは
私たちが
「苦悩からの解放されて自由になるため」と
「ヴェーダ」が教えてくれています。
 

2017年5月31日 8時50分04秒 (Wed)

教えは私たちを自由にするためにある

インドの聖典のひとつ
ヴァガヴバットギーター。

ヴァガバット=神 
ギーター=詩。

「神の詩」という意味です。
     ′

どの聖典もそうですが、
聖典の教えは私たちを自由にしてくれます。

そして、
私たちの心を自由に解きはなつために、
あらゆる聖典は、
人間や世界の真理を教えてくれます。


ヴァガバットギーターは、
クリシュナ神と主人公アルジュナが物語の中で
人の生きる目的や真実を明かし、

ヨガやアーユルヴェーダの真のゴールである
モークシャ=悟り、自由へ
私たちを導いてくれます。


ただ、アーマ(毒素)の溜まっている身体に
いくら栄養あるものを入れても浸透しないように、

不安や心配、疑いや混乱の心に
素晴らしい教えを入れても、
まったく入っていきません。


まずはアーユルヴェーダやヨガや瞑想を生活に
取り入れて、
身体に溜まっている
アーマ(毒素・未消化物)を取りのぞくと同時に、

心にある不安や疑い、混乱、無知を
取り除いていくことが大切になります。


ヴァガバットギーターも1日1回、
気になる章を読むことで、

心のアーマを取り除く手助けの
ひとつになってくれます。

 

2017年4月17日 8時26分53秒 (Mon)

「賢い人とは?」

新年度は、なにかと忙しいのですが、
やはり自然も土から芽を出す時期、

私たち人間も、
何かをはじめたくなる時期でもありますね。

習い事や新しいことをスタートさせている方も
多いかと思います。

と同時に、
4月は季節の変わり目、
身体も心も不安定になりやすい時期です。


私もなぜかこの時期になると毎年、
インドの聖典である
「ヴァガバット・ギータ」の世界を深めたくなります。

やはり心身共に、
バランスがとりにくくなる時期なのかもしれません。

ヴァガバット・ギータを読むといつも、
真理を知り、
安心感が生まれます。

あのインド独立の父であるマハトマ・ガンジーも
常に持ち歩いて、
支えとなっていた「ヴァガバット・ギータ」。

全ての真理、生きる知恵、
哲学がたくさん詰まっています、

ただ第一章から順番に読み進めると、
やや眠くなってきたりします(私の場合ですが、笑)、

まずは気軽に興味のある章から読み進めても
全体像が見えてくるので、大丈夫です。


特に第2章は重要で、
私自身、お気に入りで何度も読んでいる章です。

第二章では
神クリシュナとアルジュナのやりとりを通して、
「自分自身を知ること」について説いていますが、
一部、ご紹介します。

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アルジェナは神クリシュナにこうたずねます。

クリシュナ神、
智慧が確立し、三昧に住する人の特徴は
いかなるものか。
叡智が確立した人はどのように語り、
どのように坐し、どのように歩むのでしょうか?」

それに対して、クリシュナ神はこたえます。

「アルジュナよ、こころにある全ての欲望を捨て、
自ら真我(アートマン)においてのみ満足するとき、
その人は智慧が確立したと言われる。

不幸において悩まず、
幸福を切望することなく、
愛執、恐怖、怒りを離れた人は、
叡智が確立した聖者といわれる」
(第二章−54、55、56節)
(バガヴァットギーター/上村勝彦著参照)


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これは、
最初にアルジュナが、

「真実の知識が確立した人とはどういう人なのでしょうか?
自分の真実、本来の自分自身に定まる賢い人とは
どのような人なのでしょうか。
賢者の心はあらゆるものに対して揺れることがないと、
言いますが、
では、いったいその人はどうやって世界と関わっているのでしょうか?
その人は、どんな風に過ごしているでしょうか?」

とたずねています。

それに対して、
クリシュナ神は答えます。

「心にあれこれと浮かんで来ては人を放さず、
いずれ執着となる欲望を
追いかけることをやめた時、
はじめて人は本来の自分、自身の本質を知ることができる。

そうした真実の知識は
人の根本にある怖れを取り除いて、
自分に対する不安を打ち壊す。

人は心から自分自身に満たすことで、
何かを得ようとする欲求に駆り立てられることから
解放される。

こうして知識を確立し、
自由で在る自分の本質に気付き喜ぶ人を賢者という。

もちろん、
賢者は不快なことや痛み、苦しみを感じはするが、
それに引きずれることがない。

喜びや心地良い快楽も感じはするが、
それを渇望することも、欲しがることもない。

むやみな
切望や拒絶、怖れ、怒りから自由であり、
ありのままである真実の自分こそが
幸せの源であることを知る、
それ故、自分以外の物事や状況に心を揺らすことがない。」

(参照:バガヴァット・ギーター/向井田みお)
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2016年2月25日 8時28分17秒 (Thu)

真理を心得ている人

インドの聖典であるヴァガバットギータの
第5章は
「行いを放棄すること」について書かれています。
 
ヴァガバットギータは
ガンジーも常に持ち歩いていた、
聖典のひとつですが、
 
開いてみるたびに
多くの学びや気づきがあります。
 
 
私たちは普段の生活の中で、
どうしても好きや嫌いの判断、
あれが欲しい、これは要らないの欲、
そして、他人の非難や批判、評価などが
出てきます。
 
でも、真理を心得ている人というのは、
心にそのような欲が沸いてきても
欲望の思うままにさせずに、
その都度、欲(行い)を手放して、
常に心を穏やかに安定した状態にしておくことができます。
 
 
また、人は、
自分の人生がうまくいくと、
まるで自分に力がついたかのように、
自分の能力が高くなったかのように有頂天になりがちで、
 
さらには、それら良い評価、良い評判が
自分から去ってしまわないように、
そこに執着し始めます。
 
でも、本来は、私たちは、
好調な環境にあっても、
有頂天になって自慢心を持たないこと(手放すこと)
 
大変で苦しい環境にあっても
心を乱されないようにすること(手放すこと)
 
それが
「行いを放棄する」ということなんだと思います。

 


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