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呼吸法・瞑想

2017年10月10日 16時52分27秒 (Tue)

プラーナ(呼吸)の無駄遣いをしない

私たちは
どの命にも「寿命」があって、
それは生まれた瞬間から決まっています。

生まれたその瞬間に
プラーナ( サンスクリットで「呼吸、息吹」を意味する)
の一生分の総量も決定されていて、

人はその自分の決められたプラーナが
なくなるまで生きることができると
教えています。


プラーナがたくさんあるときには、
私たちは生き生きとしていますが、

量が少なくなってくると、
機能は低下し始めて、

最終的に呼吸が止まって、寿命が終わります。


ですから、プラーナを無駄に消耗することは
寿命を縮めることにつながります。

プラーナは、

1、過度の怒り、不安、イライラ
2、神経の使いすぎ、
3、過度の運動

などで、どんどん消耗していきます。

過度の怒りや不安やイライラは呼吸を乱して、
プラーナを消耗しますし、

神経の使いすぎも
プラーナを大量に消費します。

つまりは、
上司や部下、家族や友達などに
周りに気を使いすぎることは、

結果的に、
自分の寿命を縮めてしまうことにつながります。


過度の運動もそうですね、
息が上がることで、
プラーナを多く消費します。

スポーツ選手などが寿命が短かったり、
激しい運動を
何十年も続けていると寿命が短くなる、
といわれるのも納得です。


どこまで本当かは分かりませんが、

日本では、
一番長生きな職業は「お坊さん」だとも
聞いたことがありますが、

まさに
上記の3つ、
いずれも当てはまらない生活をしていますね。


瞑想や修行によって
過度の怒りや不安からは遠ざかっていますし、

いつも自分を見つめ、
過度に周りに神経や気を使いすぎることも
ないのかもしれません。

もちろん過度の運動はせず、
呼吸法で身体も心も鍛え整えていますから、

まさにプラーナの省エネですね、
長生きするわけです。


怒ってばかり、

気をつかってばかり、

ストレス発散とばかりに
過度な運動を続けていては、
大切なプラーナを失うばかりです。


失ったプラーナは
補うことも増やすこともできませんから、

与えられたプラーナを
大切に使っていくことが大事ですね。

 

2017年10月7日 21時08分51秒 (Sat)

「無」になろうとしなくても良いと思います


瞑想は難しいものと
思ってしまいがちです。

また繰り返ししていても、
自分が実際にできているかどうかさえも
わからない、というのが
瞑想だと思います。


そもそも
「無」や
「無の状態」や
「思考を消そう」と
目指そうとしてしまうから、

それができないと
自分は瞑想ができてないんだ、と
思ってしまいがちですが、

私は、自分の意思で
湧き上がってくる
「思考」を消すことなどできないように思います。


「無」や「無の状態」というのは、
「思考」がない状態ではなく、

「思考」=「自分」と
してない状態なんだと、私は理解しています。


どうしても普段の生活の中では
私たちは、

頭の中で次々に沸き起こる
「思考」=「自分」と
なってしまいがちですが、

これを
「思考」=「自分」と同一視せずに、

客観的に見ることができている状態を
「無」の状態、というのでは
ないかと思うのです。


「思考」=「自分」では無いことに
気づいている状態という
感じでしょうか。


ただ「思考」が悪いわけではありません。

「思考」なければ、
物事の判断もつきませんし、

日常生活の中で、
良い悪いの区別も
つかなくなってしまいますから
「思考」は便利で、必要なものです。


ただ、
普段の私たちはどうしても
その「思考」に振り回されて、
引っ張られて、
苦しんで、悲しんで、後悔して、心配して、と
日々、苦しんで、もがいていますから(笑)

その「思考」を「自分」とは分けて、
客観的に観察して、
上手に使いこなすことができることができるよう、

私たちは、
普段から繰り返し瞑想やヨガを行うことで
目指しているわけです。

 

2017年9月15日 18時24分26秒 (Fri)

頭の中の雑音が鎮まらないときは

あれが足りない、
こんなこともできない、

あんなことをしてしまった、
こんなことを言ってしまった、

負けたくない、
損したくない、

この先あんなことが起きたらどうしよう、
ダメ人間と思われたらどうしよう、
嫌われたらどうしよう、

こんなふうに
私たちの頭の中は
常に「今」起きてない
「想像」と「妄想」
でいっぱい。

それを鎮めたとき、
そこに「安心」があることに
気づきます。


でも、
それがそう簡単に鎮められないから、
苦しいわけで(笑)、

それを鎮めるために
私たちは
瞑想をしたり、
座禅をしているわけです。

でも、
できないものはできない、
できない時はできない。


目の前に嫌な人がいたら、
そこに意識が引っ張られますし、

幸せそうな人がいたら、
なんで私だけ、、、と
心がザワザワするものだと
おもいます。

そして
「あ〜、また私、思考に振り回されてる」
とさらに落ち込む、

日々、これの繰り返し(笑)


私ももちろんそうですし、
昔から多くの人が
ここで苦しんでいるんですから、

そもそも、
そんなに簡単に
頭の中の雑音を鎮めることは
難しいものなんだとおもいます。


それだけ難しいことですから、
最初は「フリ」からはじめることを
オススメします。

「安心」の中にいるフリ。

「もし」でよいから、
もし「安心」の中にいるとしたら、
どんな「心地」なのか
味わってみる。

静かな場所で
静かに座って、
「安心の中」にいる「フリ」
をしてみる。
 

2017年9月6日 21時05分01秒 (Wed)

「呼吸」をコントロールすることは 「人生」をコントロールすること、

呼吸に意識を向けることで、
頭の中でぐるぐると
いつまでもめぐっている思考や考えを止めて、
注意力をつなぎとめる役割をしてくれます。


目の前にトラブルがあっても
仕事で嫌なことがあっても、
人間関係でうまくいかないことがあっても、

身体の奥の方の
「呼吸」を感じられると、
リラックスした安らいだ状態になります。

呼吸に意識向けるだけで、
外側では荒波が立っていても、

内側では、
風の影響を受けずに穏やかな海の底のように、
静かで穏やかでいることができます。


ヨガや瞑想の時に呼吸に意識を向けるのは、
自分の内側に
この平和な場所をつくるため。


アーユルヴェーダでも
ディナチャルヤーといって
理想的な1日の過ごし方の細かい教えがありますが、

その中でも、
ヨガや瞑想、呼吸についても、
1日の生活の取り入れていくことをススメています。


自分の外側で
なにが起きていたとしても、

自分の内側に平和さえあれば、
穏やかで幸せな時間を
過ごすことができますし、

それによって、自分の身に起きる事実の
受け取り方が変化します。

そして、その都度
ゆれ動く心の変化にまどわされることなく、
物事をよりクリアな目で見て、
行動することができるようになってきます。

 

2017年8月4日 22時59分28秒 (Fri)

頑張っても忙しくても、満たされないから、「リラックスの時間」を

頑張りすぎたり、
忙しい日々に飲み込まれてしまうと、
真実、を忘れてしまったり、

ついつい目の前で起きる出来事に対して、
良い悪いの判断をし、
心が落ち着かなくなってしまうものです。


私たちは本来、毎日を
今、ここに「安心して」くつろぎの中で
過ごせば良いのですが、

実際には
心の中はいつも満たされない感覚がして、
このままでは不十分で、
もっと満たされたくて、

そのためには
「私」にはやることがまだまだたくさんある、と
思い込んでいるために
日々が、
どんどん忙しくなっているのが今の現実だと思います。


でもどれだけ、
頑張っても、忙しくしても、
まったく満たされていかないことに
気づかないくらい忙しくしています(笑)

そうなると、
もういったいなんのために頑張って、
忙しくしているのか(笑)
     ・

私も気づけば、
身体も心も忙しくして、
「もっとなにかあるはずだ」と
常に忙しく何かを求めてしまっています。


では、なぜ、私たちが
このような
「もっと欲しい、もっともっと」
などという衝動が消えないのか。


それは
「自分という個人」が
全体と分離して存在していると感じているからです。

自分と全体は別ものと考えているから。


全体と自分とが離れているこの分離感は
当然、なにかが欠けている感覚になりますから、
常に、いつも何かを求めることになります。


そうなると永遠と何かを求めることになりますから、
手に入れても手に入れても、
結局はまた次のものが欲しくなります。


本当は、
分離などなく、

ただ同じひとつのエネルギーが、
いろいろなフィルターを通して表に表現されているだけで、
何一つ分離して存在はしていません。


静かに座る時間を持つことで、
そうして分離感も欠乏感も
単なる幻想だったことに気づいたとき、
分離感をもたらしていた
この「自分」が消えています。


その時に向こうから
「やすらぎ」と「くつろぎ」がやってきます。

 


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