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インド

2017年7月22日 23時13分32秒 (Sat)

「一番大切なものは一番近くにある」インドの神さまのお話

インドの神さまの話で
こんな話があるそうです。


ある時、
インドの神様たちが
人間について、話し合いをしていました。
 

それは

「人間には、
本来の自分を見つていく過程で、
悲しみや、苦しみ、喜び、幸せなど
いろいろな経験をしてもらう必要がある。」という
お話。


 
すぐに本来の自分を見つけ、
調和がとれた幸せな生活を得てしまったら、

人間は経験を積み重ねていくことができず、
成長を積み重ねることができません。


そのために、
本来の自分を
簡単には見つけられないようにしなくてはならない、

そこで神様たちはいろいろ考えたそうです。


「人間が、
本来の自分をなかなか見つけられないようにするには
どこに隠そうか。」


「ヒマラヤの頂上に隠しておこうか、
そこに到達できた人にだけが
本来の自分を見つけられるようにしようか」


「でも、それでは多くの人間が、
山に登って見つけてしまうだろう。」


「では、海の深い深いふか〜い、ところに
隠しておこうか」


「いや、それでも人間は
海の奥底までなんとしてでも潜って見つけてしまうだろう」


「では、どこに隠そうか・・」

こんな話し合いが行われて、
結局、隠された場所は
 

2017年5月19日 5時25分20秒 (Fri)

手で食べると美味しいんです

昨日はインドカレーが無性に食べたくなりまして
西川沿いの岡ビルの中にある
ミレンガさんに行ってきました。

ミレンガに行くと、私は必ず手食をします。

以前「インド人が食事を手で食べる理由」
でも、書きましたが、
手で触ることのできるくらいの温度、
人の身体と同じくらいの温度、
37度前後の食べ物のものが、

胃袋、身体にとって良いというのは
感覚として分かりますね。

熱々のラーメンも美味しいですが、
やはり胃袋への負担は大きく、

また、夏にはキンキンに冷えた飲み物が欲しくなりますが
これまた胃袋、身体への負担は大きく、
消化力の低下につながります。

消化力の低下は
アーマ(毒素)の蓄積につながり、
疲労や病気、イライラの原因になります。


まさに
「手で食べることのできるくらいの温度がちょうど良い」
納得ですね。


ミレンガさんでいただくミールスは
もちろん、出来立てのものを出してくださいますが、
熱々ではありません。

湯気は立っていません。

img_20170519-073633.jpg
(お気に入りはベジターリーのパクチー大盛り、です)

手で食べるのにちょうど良い温度になっています。


アーユルヴェーダでは食事は五感を使って
食事を楽しむことの大切さを伝えています。

目で味わい、
香りを味わい、
耳で味わい、
感触で味わい、
最後に口で味わう。

そうしてすべての五感を使って食べることで、
消化の工程に良い影響をあたえながら、
食事を楽しむことができるのです。

また、インドでは、
食事は神聖な行為のひとつとして
考えられています。

アーユルヴェーダでも、
「胃袋にいる神さまにお供え物をするように食べなさい」という
言葉があるように、
一口一口を丁寧に食べること、

そして
スプーンやフォークではなく、
直接手を使って食べることで、

自然の恵みや神さまからの恵みに敬意を表している、
ということにもつながります。


またインドの食堂には
トイレとは別に手を洗う場所が必ずあって、
食事の前後に手を洗い、
そして同時に口もすすぎ、清めます。


これも、食べるという行為が
神聖な儀式とされていたことに関係しています。

 

2017年4月8日 12時04分38秒 (Sat)

今日はお釈迦さまのお誕生日


今日4月8日は、
お釈迦さまのお誕生をお祝いする
「花まつり」でしたね。
 

お釈迦さまは、
今からおよそ2500年前、

ネパールのルンビニの花園で生まれたため、
誕生日のお祝いを「花まつり」と言うように
なったそうです。


お釈迦さまの本名は、
「ゴータマ・シッダールタ」。

シャカ族の王子として生まれています。

「お釈迦さま」や「釈尊」と呼ばれるのは、
「シャカ族の尊い方」という意味を
表す尊称になります。


そんなこともあり、

私、今日は朝から

手塚治虫の「ブッダ」を読んでいました(笑)

img_20170408-184128.jpg


ブッダは、
「仏陀」と書きますが、

これは、
仏教で悟りを得た人のことを指しますから、
本来は、個人名ではありませんが、

お釈迦さま、釈尊、ブッダ=ゴータマ・シッダールタと、
同一にされることが多いようです。


手塚治虫さんの「ブッダ」

何度も読んでいるシリーズですが、
読む年齢、タイミングによって
感じ方がまったく違うものですね。


 

2017年1月17日 21時34分39秒 (Tue)

「空」を感じる

仏教の悟りの境地に
「空(くう)」という概念があります。

この「空」の概念が日本に入ってきた時、
日本で、
この「空(そら)」という漢字を当てたのは
さすがだなぁ、と感じます。

「空(くう)」は、
そこには何も実態はないけれど、
全てを含んでいるという状態。

いわゆる「悟った人」というのは、
この「空(くう)」という境地を
言葉や知識で
「説明する人」ではなく、

こういった「空」の状態を
体感覚で
「理解しながら生活をしている人」のことを
悟った人というのだと思います。


そして、
この「空」の状態に入るために
今でも多くの人が修行をしています。


私たちの身近でも、
「空(そら)」を眺めていると、
その感覚がなんとなくわかるような気がします。

「空(そら)」を眺めていると、

「空(そら)」には境目がなく、
世界中つながっていて、
宇宙ともつながっていて、
私たちともつながっていることが
体感として理解できます。

そして、
一瞬として同じ「空」の状態はない。
 

2017年1月9日 20時52分28秒 (Mon)

北インド古典音楽を聴きながらターリー&チャイを


今日は、私の大好きなカレー屋「ミレンガ」で

タブラと、サーランギ―で
北インド古典音楽の演奏を聴きながら、
大好きなベジ・ターリーとチャイを楽しみました。


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北インドの古典音楽、素晴らしかったです!

南インドに行った際に聴いていた
古典音楽とはまた違った音色、とても楽しめました。


私も初めて知りましたが、
インドの古典音楽は演奏するうえで
2つのルールがあるそうです。


ひとつめのルールは「ラーガ」。

これは音の高低に関する理論。
音の並びのこと。
たとえていえば、ドレミファソラシドのようなもの。


もうひとつのルールが「ターラ」。

ターラは音の「長短」「有無」であって、
つまりは「リズム」に関しての理論。


本日、聴いたインドの古典音楽も
即興音楽のため、楽譜も使わず、
演奏者同士も打ち合わせもほとんどないようですが、

一緒に演奏をする時などは、
この「ターラ」の決まりを
お互い守りながら、演奏するそうです。

逆にいえば、
この「ターラ」の決まり以外の約束事はなく、

それぞれが即興で奏でていくのですが、
それがとっても素晴らしく、
心地の良い演奏で、
いらしている方も、みなさん聴き入っていました。


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