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2017年02月 のアーカイブ

2017年2月28日 17時15分52秒 (Tue)

自分自身から「自由」になるための近道

アーユルヴェーダの
人生の目的の最後は「モークシャ」。

「解脱」や「解放」「自由」
などと訳されます。

これを知った当日は
どうして「自由」が
そんなに難しいのかと思っていたりもしました。

周りがなんと言おうと、
自分のやりたいことをやればいいじゃない、と
それが自由だよね、と思っていました。


でも、ここでいう「自由」はまったく違いますね(笑)

ここでいう「自由」は
自分自身からの「自由」。


これが体感で分かった時から

「自由ってなんて難しいんだろう、
人生の最終目的に
「モークシャ」がある理由がよくわかる・・・」と
心底思ったことを今でも覚えています(笑)


そもそも、
もともと私たちは最初から自由です。

「自由」であるけれども、
それを忘れてしまっているのが
今の私たちの状態です。


束縛感や、
どことなく感じている日々の窮屈感、
やらなきゃいけないやらされ感、

そして、ここから出られたら
どれだけ「自由で幸せだろうか!!」と思うこの感覚。


でも、
これは事実ではなく、
全て私たち自身の思い込みであって、

すべては自分でつくりだした
「思考」であり「妄想」であり、
ダライラマ法王もよくおっしゃいます
「幻想」になります。


「自由」な状態というのは、
それらが
「自分で勝手につくりだしているものだ」というこに
気づいている状態、
これが「モークシャ」=「自由」な状態なんだと
私は解釈しています。

 

2017年2月27日 17時17分30秒 (Mon)

力を抜いて、流れに乗る

どこかひょうひょうとしていて、
自然に逆らっていないというか、
自然と調和しているというか、
自然の流れに乗っている人は、
素敵だな、と最近よく感じます。

肩の力が抜けていて、
スッとその場と調和してしまう、

そういう人をいいな、と思いますし、
私もそうでありたいな、と思います。


昨日、ここでも書かせていただいました。
日本で唯一のチベット医である小川先生も、

とっても気さくで、
肩に力がはいってなくて、
自然や人生の流れに沿って
自然体で生きていらっしゃる方だな、と感じました。


私たちは、
身体に力が入っている時には、
いろいろなものごとがうまく流れないことが
多いように思います。

一時的に達成して、
うまくいったかのようにみえても、
長い目で見ると、うまくいってなかったり。


なにがなんでも自力でいこうと、
流れにさからって、頑張って、

自分の力でコントロールしようと
しているときなども、
流れが滞る感じがします。


ヨガでも「力を抜く」ことの大切さを
教えています。

力むことをやめて、
「楽」にしていること。

身体と心から力を抜くことができたとき、
「あ〜、もうお任せ」となったとき、
私たちは、
自然と調和して、
流れにのることができるのだと思います。


自分に起きるものごとや、
目の前にあることに対して、

ああするべき、
こうするべき、と判断するのではなく、
ただありのままを見こと、

来るものは拒まず、
去るものは追わず、

こだわらない、執着しない、

恐れや怒り不安、罪悪感をを
行動のモチベーションにしないこと。

 

2017年2月26日 7時10分54秒 (Sun)

チベット薬草のおはなし

週末は、
『チベット、薬草の旅』著者である
小川康さんのお話を伺うことができました。
 

お話はとっても面白くて、
興味深い薬草のお話が盛りだくさんでした。


本の差し絵はとっても可愛くて、
とってもオススメな本です。


差し絵はチベット仏画家さんが
描かれていて、差し絵を見るだけでも見ごたえあります。

img_20170226-071145.jpg


インドでは
「台所は家庭の薬箱」という言葉があるように、

家庭でお母さんが
スパイスや薬草を使って
家族の健康管理をしています。

インドもチベットも
スパイスも、薬草もとっても身近なもの。

 

2017年2月25日 7時02分23秒 (Sat)

今いる、この場所で、日々「修行」

今朝は、
1300年の間に2人しか成功していない修行、
「大峯千日回峰行」の2人目の達成者である
慈眼寺住職・塩沼亮潤氏の

著書「忘れて、捨てて、許す生き方」を
読んでおりました。

読み終わりましたので、
サロンにございます、
「Mycocoon Books」に置いておきます。

必要な方、ご興味のある方は是非、お持ち帰りください。

「大峯千日回峰行」は

奈良県・大峯山の山道を
1日48km、16時間かけて
1000日間毎日歩き続けます。

毎日48qを1000日間、、、つまりは約3年。

それだけでも信じられませんが、

それが終わると、9日間、
飲まない、
食べない、
寝ない、
横にならないという行を続けます。

この修行は
「失敗したらその場で切腹」という
厳しい条件が課せられていますから、
修行を途中で止めることは死を意味します。


書籍内には
修行を通して得たこと、感じたことが
書かれていて、
普段、頭では分かったつもりでいたことも、
「なるほどな」と改めて感じることができました。


山歩きは好きですが1日で48qはちょっと・・

さらには食べるの大好き、
ゆっくりするの大好き、
寝るの大好きな私には

これは到底無理だな、、、などと想像をしたりして、
読んでおりました(笑)


ただ山に登らずとも、私たちの毎日は
やはり「修行」です。


目の前には食べ物もたくさんあって、
身の安全も確保されていて、
インターネットもあって、
楽しい友達にも囲まれて、

そういう中で毎日を過ごしてはいますが、
そんな毎日も
日々「修行」です。

「修行」というのは、私は「心の訓練」だと
思っています。


ですから、
山の中、都会のど真ん中、
どんな環境に自分がいたとしても、

私たちは「修行」ができますし、
「修行」をするようになっているのだと思います。

 

2017年2月24日 4時49分15秒 (Fri)

怒り、不安や焦りはラジャスの心から

近年、
なんとなく世界全体が
​不安な感じ、

日本全体も、
これからどうなっていくんだろか、、、という
​不安な気持ちが漂っています。

このようなとき、
​わたしたちの心の質はラジャスが増しやすく、

攻撃的になったり、
疑い深くなったりして、
同時に、
恐怖感や焦りがでてきます。

​起きてもいないことや、
まだ分からないことを
「これから起きるに違いない」と思って
​鬱々としてしまったり、

誰からも攻撃をされていないのに、
「ああなったらどうしよう」と
勝手に想像がふくらんで、
恐怖感でいっぱいになったり。


心がラジャスの質に傾くと、
私たちは正しい判断ができなくなります。

​さらに今は、
​「そのままじゃ大変なことになるよ」と
焦りや恐怖感をあおり、
心をラジャスに傾けさせるようなことも多く、

正しい判断を鈍らせて、

何かを買わせようとしたり、
騙そうとしているケースも
​少なくないように思います。

心がラジャスに傾かないために
​大切なのは、
リラックスをして、
​自分の心をサトヴァ(純粋性)の状態にしておくこと。

心がサトヴィックなとき、
​私たちの心はリラックスをしていて、
心が平安で
「事実」を「事実」としてみることができ、
正しい判断ができます。


心がサトヴィックな状態で、
心が平安で心地の良い状態であれば、
​「事実」をそのままに見ることができて、

余計な不安や心配を感じることがありません。